| 《中勘助 略年譜》 | |||
| 引用文献 | ちくま日本文学全集(串田孫一編) | 岩波文庫「中勘助詩集」より | |
| 西暦 | 暦年(年令) | ||
| 1885 | 明治18年 | 5月22日、父・勘弥、母・鐘の5男として東京神田に生まれる(兄4人の内、3人は夭逝。他に姉2人妹2人がある)。父・勘弥は岐阜の今尾藩士で、明治維新後神田の藩邸に移り、家令を務める。4歳の時に、小石川区(現・文京区)小日向水道町の新築の家に移る。 | |
| 1888 | 明治21年(3歳) | 1月、妹・栄誕生 | |
| 1889 | 明治22年(4歳) | 7月、転居。9月、末妹・やす誕生 | |
| 1891 | 明治24年(6歳) | 4月、正規の学齢より一年早く市立黒田尋常小学校に入学。 | |
| 1897 | 明治30年(12歳) | 9月、城北中学校(後の府立第4中学校、現・都立戸山高校)に入学 | |
| 1902 | 明治35年(17歳) | 9月、第一高等学校第一部に入学。同級に江木定男・安倍能成・小宮豊隆、野上豊一郎・藤村操らがいた。翌年、イギリス留学より帰国して一高教授に就任した夏目漱石の講義を聞く。 | 同期に他に山田又吉・茅野儀太郎・尾崎放哉 |
| 1903 | 明治36年(18歳) | 4月夏目漱石就任、5月、藤村操華厳の瀧入水。9月、岩波茂雄、荻原井泉水同級となる | |
| 1905 | 明治38年(20歳) | 東京帝国大学文科英文学科に入学。東京帝国大学英文学科講師を兼任していた夏目漱石の講義を一高より引き続き聞く。同級に鈴木三重吉がいた。 | |
| 1906 | 明治39年(21歳) | 父・勘弥死去明治39年十月享年65歳 | |
| 1907 | 明治40年(22歳) | 9月、国文学科へ転科。父・勘弥死去(享年66歳)? | |
| 1908 | 明治41年(23歳) | 8月、江木妙子生まれる。 | |
| 1909 | 明治42年(24歳) | 東京帝国大学国文学科を卒業。卒業直前、九州帝国大学教授であった兄・金一が脳出血で倒れる。以後、嫂・末子と家の重苦を背負う。「病床」はこの頃の日記。 | |
| 1910 | 明治43年(25歳) | 12月、一年志願兵として近衛歩兵連隊に入隊。「兵営」はこの間の日記。 | |
| 1911 | 明治44年(26歳) | 4月、衛戍病院に入院。二ヶ月後、除隊。「島守」はこの間の日記をもとに、翌年の島籠りの記録を入れたもの。夏、信州野尻湖畔の安養寺に仮寓。9月、湖中の弁天島に籠る。晩秋に帰京、東京の郊外に仮寓。 | |
| 1912 | 明治45年(27歳) | 夏から秋にかけ信州野尻湖畔に滞在、「銀の匙」を執筆。夏目漱石に送り閲読を乞う。この頃、末妹・やす死去。「妹の死」はこの間の記録。8月、小宮豊隆の推薦で「夢の日記」を「新小説」に発表。10月、帰京、上野寛永寺山内真如院に移る。 | |
| 1913 | 大正2年(28歳) | 4月、夏目漱石の推薦により、「銀の匙」が「東京朝日新聞」に連載される。(6月完)。「小品四つ」を執筆。 | 3月、親友山田又吉、安倍能成宅にて自殺 |
| 1914 | 大正3年(29歳) | 5月、脚気療養のため信州追分に転地。帰京後、比叡山横川へ再び転地し、「銀の匙」の後編を執筆。 | |
| 1915 | 大正4年(30歳) | 4月、「銀の匙」後編が「東京朝日新聞」に連載(6月完)。 | |
| 1916 | 大正5年(31歳) | この頃から一高時代の友人江木定男の長女妙子と親しくなる。12月、夏目漱石死去。翌年6月、「漱石先生と私」を「三田文学」に発表。 | 山田又吉遺稿を安倍能成、岩波茂雄と3人で編集出版 |
| 1917 | 大正6年(32歳) | 5〜6月及び翌年7月茨城県布川の徳満寺に滞在 | |
| 1920 | 大正9年(35歳) | 千葉県我孫子町(現・我孫子市)手賀沼のほとりに仮寓。この地に住む志賀直哉と交わる。「沼のほとり」はこの頃の日記。4月、「提婆達多」を脱稿。この頃、兄・金一の発病後の痴呆に端を発する親戚間の紛糾に苦しむが、最終的に生家の世話を引き受ける。 | |
| 1921 | 大正10年(36歳) | 4月、「提婆達多」を新潮社より、「銀の匙」(仮綴じ)を岩波書店より刊行。 | |
| 1922 | 大正11年(37歳) | 4月、「犬」を「思想」に発表。6月、江木定男死去。7月、赤坂区(現・港区)表町に移る。 | |
| 1924 | 大正13年(39歳) | 5月、「犬 附島守」を岩波書店より刊行。平塚に家を建て、昭和7年まで主としてここに暮らす。 | |
| 1925 | 大正14年(40歳) | 7月「沼のほとり」を岩波書店より刊行。 | 「沼のほとり」(孟宗の蔭収録) |
| 1926 | 大正15年(41歳) | 4月「銀の匙」(初版として)を岩波書店より刊行。 | |
| 1928 | 昭和3年(43歳) | 結婚してパリにいる江木(猪谷)妙子のために「菩提樹の蔭」を執筆。 | |
| 1931 | 昭和6年(46歳) | 4月「菩提樹の蔭」を岩波書店より刊行。 | 「菩提樹の蔭」(「病床」「兵営」「衛戍病院」「妹の死」「貝桶」「沼のほとり」「孔子(未定稿)」収録) |
| 1932 | 昭和7年47歳) | 4月「雁の話」(「鳥の物語」第一作)を執筆。6月「しづかな流」を岩波書店より刊行。 | 9月平塚の家を売却、赤坂の家に同居 |
| 1933 | 昭和8年(48歳) | 4月「提婆達多」を岩波書店より刊行。 | |
| 1934 | 昭和9年(49歳) | 10月、母・鐘死去(享年86)。12月「母の死」を「思想」に発表。 | |
| 1935 | 昭和10年(50歳) | 3月、詩集「琅?」を、4月「母の死」を、ともに岩波書店より刊行。11月「銀の匙」が岩波文庫に入る。 | 「母の死」(「雁の話」「ゆめ」「郊外そのニ」孟宗の蔭」「裾野」「郊外その一」「小品」収録) |
| 1936 | 昭和11年(51歳) | 5月、詩集「機の音」を、12月、詩集「海にうかばん」を、ともに岩波書店より刊行。 | |
| 1937 | 昭和12年(52歳) | 6月、「街路樹」を、10月、詩集「吾往かん」を、ともに岩波書店より刊行。 | 「街路樹」(「しづかな流」収録) |
| 1938 | 昭和13年(53歳) | 12月、詩集「大戦の詩」を岩波書店より刊行。 | |
| 1939 | 昭和14年(54歳) | 9月、詩集「百城を落とす」を岩波書店より刊行。 | |
| 1940 | 昭和15年(55歳) | 5月、日記「逍遥」を岩波書店より刊行。嫂・末子倒れる。「氷を割る」はこの間の日記。 | 「逍遥」(「夏目先生と私」「黒幕」収録) |
| 1941 | 昭和16年(56歳) | 10月、「鳩の話」を岩波書店より刊行。 | 「鳩の話」(「氷を割る」収録) |
| 1942 | 昭和17年(57歳) | 3月、詩集「飛鳥」を筑摩書房より刊行。4月、嫂・末子死去。7月、妙子死去。十月、島田正武の娘・和子と結婚。結婚式の当日、兄・金一死去。嫂を追慕する作品「蜜蜂」や「妙子の手紙」を執筆。 | |
| 1943 | 昭和18年(58歳) | 5月、「蜜蜂」を筑摩書房より刊行。10月、静岡県安倍郡服織村に疎開。 | |
| 1945 | 昭和20年(60歳) | 3月、服織村の羽鳥に移る。「羽鳥」はこの間の日記。5月、東京赤坂の家が戦災にあい焼失。この年、「鶯の話」鶴の話」「ひばりの話」「雉子の話」などを執筆。 | |
| 1946 | 昭和21年(61歳) | 3月、「結婚」を「朝日評論」に、8月「鶯とほととぎすの話」を「世界」に発表。 | 一高時代からの友人岩波茂雄死去 |
| 1947 | 昭和22年(62歳) | 7月「余生」を八雲書店より刊行。 | 「余生」(「結婚」「妙子への手紙」「トランプ」「チャリネ」「柳先生」「林園」「きもの」「本朝二十四孝」「ひばりの話」収録 |
| 1948 | 昭和23年(63歳) | 2月、「鶴の話」を山根書店より刊行。4月、東京中野新井町の、妻・和子の実家に移る。 | 「鶴の話」(「鶯の話」「故椎貝寿郎氏の思い出」「網引き」「闘球盤」「随筆」「詩」収録) |
| 1949 | 昭和24年(64歳) | 5月、「鳥の物語」を山根書店より刊行。9月「白鳥の話」を「文芸」に発表。 | 「鳥の物語」(「雁の話」「鳩の話」「鶴の話」「ひばりの話」「鶯の話」収録) |
| 1950 | 昭和25年(65歳) | 2月、野上豊一郎死去 | |
| 1951 | 昭和26年(66歳) | 1月、「白鳥の話」を角川書店より、6月詩集「藁科」(「和歌」「俳句」収録)を山根書店より刊行。 | 「白鳥の話」(「いかるの話」「随筆」「詩二十七篇」「俳句」収録)。小堀杏奴編「中勘助集」が新潮文庫になる。 |
| 1952 | 昭和27年(66歳) | 3月、「菩提樹の蔭・提婆達多」が角川文庫になる。 | |
| 1953 | 昭和28年(68歳) | 5月、妻・和子と、京都・奈良を旅行。11月「中勘助自選随筆集」上が創元文庫に入る(下は翌年1月刊行)。 | |
| 1955 | 昭和30年(70歳) | 5月、「中勘助詩集」が角川文庫になる。9月、「しずかな流」「街路樹」が角川文庫になる。12月、「沼のほとり」が角川文庫になる。 | |
| 1956 | 昭和31年(71歳) | 胆嚢その他の病気のため日本医科大学附属第一病院に入院。6月、退院。9月、再入院するが、20日後、退院。 | 9月、「母の死」が角川文庫になる。 |
| 1957 | 昭和32年(72歳) | 3月、「くひな笛」(小品「まゆみ」「随筆」「染めかえ」「雀のお宿」「盲目」「そば」「深大寺」「晩秋」「雷と「太鼓とチャルメラ」「七十年」「名月」「瑠璃鳥」「たご」「戦記と思ひ出」「旧友」、詩八編、随筆「樟ケ谷」「羽鳥」収録)を宝文館から刊行。 | |
| 1958 | 昭和33年(73歳) | 2月、感冒より肺炎を併発、一時危篤。 | |
| 1960 | 昭和35年(75歳) | 12月「中勘助全集」を角川書店より刊行(全11巻、のち、1巻増巻。1965年1月完。没後さらに1巻増補)。 | |
| 1965 | 昭和40年(80歳) | 1月「中勘助全集」の完結と多年の業績により朝日文化賞を受賞。4月28日、発病、入院。5月3日、蜘蛛膜下出血のため死去。 |