瀧川 哲朗
2009.3.10
T「絵日傘」
原著作:「街路樹」
確認済収録文献A「中勘助全集:角川書店刊」第6巻403頁
原著作の体裁: 「街路樹」は昭和7年9月17日に始まる日記体随筆。昭和12年6月に岩波書店より出版、「しづかな流」も収録されている。
制作時期; 「絵日傘」は「街路樹」の昭和11年7月25日の項に書かれている詩。著者51才の作品。
摘要1
巻末歌詞・楽譜で原文と違う部分
「絵日傘さして遊びましょ」(楽譜)→原文・巻末「絵日傘さして遊びましょう」
「源氏香といふもんよ」(楽譜・巻末)→原文「源氏模様といふもんよ」
他に旧仮名遣い部分2箇所
原文の「源氏模様」とは不明。「源氏香」または「源氏香之図」のことと考えられる。当時このような呼び方があったのだろうか?作曲者が修正したのか、あるいは原作者が詩集に再録したときに修正したものか、現在自選詩集が殆ど絶版となっているので確認のしようが無い。
U「椿」
原著作:「沼のほとり」
確認済収録文献A「中勘助全集:角川書店刊」第4巻25頁
確認済収録文献C 「日本詩人全集18」新潮社刊、昭和43年6月22日第1版発行、中勘助部分は藤原定編集、35頁に「琅?」よりと収録されている。
未確認文献D 自選詩集「琅?」、昭和10年3月、岩波書店刊
原著作の体裁: 「沼のほとり」は大正9年3月4日から始まる日記体随筆。丁度著者が千葉県我孫子町の手賀沼近くに仮寓していた頃の日記。
制作時期; 「椿」は4月21日の項に記載されている。著者34才の作品。
摘要1
巻末歌詞・楽譜共に原文と違う部分
4行目(枝もさかえりゃ葉もしげる)
5行目(しげる葉蔭にさかりの花が)
この部分は原文には無い。
上記確認文献ACとも、中間部分の「枝もさかえりゃ葉もしげる、しげる葉蔭にさかりの花が」は無い。作曲者が使用した詩集がはっきりしないので確認できないが、この部分は作曲者が挿入したと思われる。
V「四十雀」
原著作:不明(単独詩か?)
確認済文献C 「日本詩人全集18」新潮社刊、昭和43年6月22日第1版発行、中勘助部分は藤原定編集、24頁に「琅?」よりと収録されている。"
未確認文献D 自選詩集「琅?」、昭和10年3月、岩波書店刊"
原著作の体裁: 「中勘助全集:角川書店刊」の詩を集めた巻(第10巻第11巻)には収録されていない唯一の詩。同名の詩が第10巻に収録されているが内容は全く異なる。
制作時期;不明、自選詩集「琅?」刊行以前は確かだが、勘助既に50歳でありあまりにも範囲が広すぎる。前記「日本詩人全集」には、「ほほじろの声」の直前に収録されており、制作時期もその近辺と推定される。著者40歳前後の作品か?
W「ほほじろの声」
原著作:「しづかな流」
確認済収録文献A「中勘助全集:角川書店刊」第5巻406頁
確認済収録文献B「中勘助詩集」谷川俊太郎編、1991.11.18第1版、岩波文庫、139頁"
確認済収録文献C 「日本詩人全集18」新潮社刊、昭和43年6月22日第1版発行、中勘助部分は藤原定編集、24頁に「琅?」よりと収録されている。
未確認文献D 自選詩集「琅?」、昭和10年3月、岩波書店刊"
原著作の体裁:「しづかな流[1]」は日記体の随筆、昭和7年47歳、岩波書店より出版
制作時期;「しづかな流」は大正13年1月1日より始る、「ほほじろの声」は、大正14年5月5日の項に所載。著者40歳のころの日記か。
摘要1
大正10年頃種々あったが生家の世話を引受け、小石川の生家を旧友岩波茂雄に引取って貰い、赤坂表町に移り、年寄(母)と病人(兄)の為に平塚に家を買いその後7年ほど夏の殆どをそこですごした頃の日記。
X「かもめ」
原著作:「街路樹」
確認済収録文献A「中勘助全集:角川書店刊」第6巻406頁
確認済収録文献B「中勘助詩集」谷川俊太郎編、1991.11.18第1版、岩波文庫、84頁"
原著作の体裁: 「街路樹」は昭和7年9月17日に始まる日記体随筆。昭和12年6月に岩波書店より出版、「しづかな流」も収録されている。
制作時期; 「かもめ」は昭和11年7月26日の項に書かれた詩。著者52才の作品。
摘要1
楽譜の方は原文どおりの歌詞だが、巻末の詩は下記下線部が誤記。
2行目「鴎の(脚)はなぜ紅い」とあるが、楽譜の「かもめの嘴はなぜ紅い」が原文どおり。
Y「ふり売り」
原著作:「貝桶」
確認済収録文献A「中勘助全集:角川書店刊」第2巻331頁
確認済収録文献B「中勘助詩集」谷川俊太郎編、1991.11.18第1版、岩波文庫、137頁
原著作の体裁: 昭和6年5月岩波書店から刊行された「菩提樹の蔭」に収録された短編の一。日記体の随筆"
制作時期; 「貝桶」は「大正13年2月16日」の日記から始まっている。「ふり売り」はその2月26日の項の二つ目の詩。著者38才の作品。
摘要1
著者のあとがきによると、「最も楽しかった旅行の一つ。昔 美しい石や貝を拾うと叱られた子が夢見るように貝を拾って暮した幾日の日記である。」とある。 文中「岩井」の地名が見られるので、千葉県南房総の岩井であると考えられる。"
摘要2
楽譜につけられた歌詞と巻末掲載の歌詞が違う部分、7行目「いさぎよき(し) 魚のかずかず」
の下線部は、原文は「いさぎよき」となっている。
参考:同日に記されている直前の詩
「石原に のりとる乙女
渚に 貝ひろふわれ
ほのぼのと 海はかすみて
春の雲 しづかにうごく
うららかに 光さして
かぎろへる あしたの濱に
なれはとる いのちのたづき
われはひろふ こころのかて」
Z「追羽根」
原著作:「逍遥以後疎開まで」
確認済収録文献A 「中勘助全集:角川書店刊」第7巻306頁"
原著作の体裁:日記体の随筆。
制作時期; 「逍遥以後疎開まで」は「昭和15年1月9日」から始まっている。年譜によると、5月嫂・末子 蜘蛛膜下溢血で倒れる、とあり当該文のあるのは「某日」とあるが、直前に
「12月30日」の記載があるので昭和16年1月の某日と思われる。歌詞の通りの、前文があり、「いち夜あければ・・」と詩がつづいている。著者55才の作品。
摘要1
この後、昭和17年、嫂・末子、江木妙子、兄・金一の死が続き。本人の結婚、戦局の緊迫による静岡県へ疎開する間の日記体随筆。