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木曾節あれやこれや
T2八木
〆木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳 ナンチャラホーイ  夏でも寒い ヨイヨイヨイ  
中山道は、日本橋から北武蔵・上野国・信濃国・美濃国と諸国を通過した後、近江国草津宿で東海道と合流、京都に至る。
古くは、信濃国木曽を通るため木曾街道、あるいは日本の中間の道というということで中仙道とも記されましたが、
江戸幕府は享保元年(1710)、中山道として名称を統一することとしました。日本橋から滋賀草津まで67の宿場がある
  その中で中山道十一宿といわれる南木曽路が次の宿場町です。
南木曽路11宿
贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠
奈良井は中山道十一宿のうち北から2番目の難所「鳥居峠」(1,415.7m)を控えた宿場町です。
かつては街道を行き交う旅人で栄え、その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいだった。
奈良井川に沿って約1kmの中山道沿いに町並みが形成され、旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残している。
木曾清和源氏の流れを汲む木曽氏(木曽義仲が有名)の所領。
木曾節:長野県木曾地方の盆踊歌。 
御嶽山3,063.4m 日本百名山の一つ。
中乗りさん:三説あり。
@馬に乗った人:その昔馬に「三宝荒神」という鞍を置き、その中央に乗った人を真ん中に乗るという意味で「中乗りさん」と呼んだ
「江戸時代各地の大名が幕府への上納金を千両箱に入れ、その千両箱を馬の背に左右一個ずつ、都合二個を負わせて、その間にまたがって乗る人をさしたもの。
こういう行列が中仙道を通ると、木曽路の人は馬上の金庫番を見ては中乗りさんと呼んだ。」角川文庫日本民謡全集による
A御岳教の中座:木曽御嶽山の御岳教にまつわる神のお告げを信者に伝える「中座」と呼ばれた人のこと
B木材を木曽川で運搬した際、組んだ小さな筏の真ん中に乗った人のこと。先頭を「舳(へ)乗り」・後ろを「艫(とも)乗り」真ん中を「中乗り」といった。
一般的な通説はBの木曽川の筏師のことを指す。
ナンジャラホイ:、「なんじゃやらホイ」の掛け声のつまったものだという説と、
「ナムチャラホイ」つまり梵語で盆踊りの意味だという説がある
ナンチャラホイが正しいという説あり。正調では「ナンチャラホイ」
*正調では最後に「ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ」と繰り返しはやらない。
お六の櫛長野県木曽郡木祖村薮原で生産される長野県知事指定の伝統工芸品
梳き櫛。(整髪具のには、髪を梳かす梳き櫛と、髪に飾る挿し櫛などがある。)
元禄年間(1688年 - 1704年)、持病の頭痛に悩んでいた村娘お六が、治癒を祈って御嶽山に願いをかけたところ、
ミネバリで櫛を作り、髪をとかしなさいというお告げを受けた。お告げのとおりに櫛を作り髪を梳いたところ、これが治ったと言う。
その名が江戸など各地に広まった。
ミネバリの櫛は 白木の素材を生かした櫛で親子3代使える梳櫛で実用的な櫛。
1982年10月21日 - 長野県知事伝統的工芸品に指定された。 
木曽の五木: ヒノキ・サワラ・アスナロ(アスヒ)・コウヤマキ・ネズコ
  享保年間(1916-1936)にとられたのが『禁木制度』で、檜、桜、翌檜(あすなろ)、
コウヤマキを伐採禁止とし後に檜と紛らわしいネズコを追加していわゆる『停止木』の『木曽の五木』が生まれた。
「檜一本首一つ」と言い、盗伐、背伐などを犯した者は厳罰に処せられた。
木曾節
〆木曽の御岳(おんたけ)夏でも寒い 袷しょ(あわしょ)やりたや
足袋を(たびょ)そえて
〆木曽の名木ヒノキサワラ    ネズアスヒに コウヤマキ
木曽の名物 お六の櫛は     解きし前髪 止めにさす
〆木曽の奈良井やぶ原宿か    婿も取らずに孫を抱く
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